子どもを育てていると
つくづく思うことがある。
「自分の常識は、他人の非常識」
大人同士でもよくある話だけど
子育てではその差がもっと露骨に出る。
なぜなら
子どもは “子どもの世界線” で生きているから。
子どもには子どもの世界がある
子どもの世界は
学校・部活・友達・SNS・流行りもの。
大人から見れば
「それはありえない」 と思うことでも
彼らにとっては“普通”であり“常識”。
経験値も
見えている景色も違うのだから当然。
親の世界線と子どもの世界線は
そもそもスタート地点が違う。
「常識やん!」と言われても、こっちはちんぷんかんぷん
会話の途中で突然
「え、それ常識やん!」
と説明を端折られることがある。
こちらはもう
頭の中がクエスチョンマークでいっぱい。
というのも・・・
そもそも
子どもが言っている
“言葉の意味” がわからない時がある。
単語は聞こえる。
日本語として成立しているのもわかる。
でも、
その単語が文章としてつながらない。
英語が苦手な人が
単語は読めるのに文章になると理解できない
あの感じに近い。
しかも
知らない単語が混ざってくるから
理解しようにも理解できない。
「森→木々→木→根っこ」問題
たとえば・・・
「森」がわからないとする。
「森ってどういう意味?」と尋ねると、
「たくさんの木々があって…」
と言われる。
そこでまた詰まる。
ちょっと待って “木々”って何?すると
「一本の木が集まってて…」
と言われる。
いや、 そもそも“木”がわからない。
木って・・・? と聞くと、
「土の中に根を張って、地上に幹を伸ばして、枝が広がって葉がついて…」
と説明してくれる。
でも
ピラミッドの“土台”がわからない状態で
いきなり“頂点”を説明されても理解できるわけがない。
子どもの世界線と親の世界線が交わらない瞬間って
まさにこういうことなんだと思う。
そこで私は、こう言ってみた
「あなたの常識と私の常識は違うかもしれない。
だから、あなたの常識を教えてくれない?」
これは
“親の常識” を押しつけないための言葉。
そして、 子どもの世界線を尊重するための姿勢
しかし、現実はこうなる
なんせ自我形成まっさかりの我が子。
私の提案に対し
- 説明を放棄
- 無言で部屋へ消える
- 会話終了
……子育て、難しい。
早く成長してくれ…と思う一方で
こういう時間もあと少しなんだろうか、とふと思う。
理解できない会話に戸惑いながらも
そんなやり取りすら
いつか懐かしく思う日が来るのかもしれない。
今はまだ
この “すれ違いの時間” を
どこか楽しんでいる自分もいる。
まとめ:常識はひとつじゃない
子どもは
親の常識だけで生きているわけじゃない。
学校での常識
友達との常識
部活での常識
その全部を行き来しながら
自分の世界をつくっている。
だからこそ
親の常識だけで判断しない。
子どもの世界線も尊重する。
それが
子どもとの距離を近づける 小さな
でも大きな一歩であると、信じている。
関連:耳だけで読書できる“心の余白”
子どもの世界線を理解するには
親の心にも余白が必要。
私はそんなとき
耳だけで読書ができるオーディブル を使っています。


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